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ふう のつづき

昨日のつづきですが、

かと言って戦時中の緊張した日々を今生きるべきだと言いたいわけじゃなく。
僕らはどうしても現在過去未来と計算をしてしまう動物で、
明日がある事を知っていて今は明日に繋がってる事も知っている。
でも、野生の動物たちはこの瞬間しか知らないわけだから、
力のペース配分すらわからず全力で生きてるように思う。
時間の概念が邪魔すると思うんですが、人間だけが時を数えてて、
他の動物は昨日があった事すらよくわかってないわけです。
今しか知らない、この瞬間にしか意識が無い。これこそ生きてる証拠のような気がします。
明日の不安を抱いて今を上手く生きれなかったり、
昨日の失敗を悔やんで今を上手く過ごせなかったり、
人間だけは今を今のために生きれない特殊な不幸を背負っている。
だからこそ、今この瞬間をこの瞬間のためだけに全力で生きれば、
その充実感に後押しされ次の瞬間もその瞬間のために生きれる。と、思う。

生き生きと生きるためには、
自分が経験したことを越えなければ自分に感動しないし生き生きとできない。
経験は歴史だから他の動物と違って、感覚やその時の感情を記録していて、
だからその記録しているものを遥かに越えなければ自分に感動しない。

たとえば、1グラムの感動を知って、
次に2グラムの感動を知った時、
すでに1グラム分の感覚は知っているから
2グラムを知っても1グラムの感動しか感じられない。
ってことは、幼少の頃から溜まった感動のグラム数を
遥かに越えなければ大人たちは感動しない。

で、日々気持は違うわけだし環境も違うわけだから毎回重なる感動があるわけないだろ!
と、思われるかもしれないけど、そこはまた同じような感覚にしてしまうのは人間の癖のような気がする。
毎日太陽が昇ることに毎日感動しているかどうかってことがここで問われる。
本当はまったく違う日々であるはずなのに安心や安定を求める僕らは、
どうしても日々を安定させてしまう。「安定こそ幸せだ」とどこかで思っている。
違う日々の怖さから逃れようとした結果、時を数えることにしたのだから、
僕らは自ら同じ毎日の方が安心できると考えこの文化があるんだと思う。
(そう考えると生命保険って物凄い商売だ。安心だけを売っている。)
そのくせ、人生に支障のないくらいの刺激は求めてしまう。
新鮮に毎日を過ごしたいわりには日々の安定は崩されたくない。
欲張りなんだ。


生き生きと生きるためには、
自分は常に新鮮であると自覚するべきだ。
新鮮さを他から取入れようとするのはやっぱり自分に無責任な気がする。
自分の中から毎分毎秒沸き立っている血液を実感するだけで勇気が湧いてくると思う。
誰かに好かれようと振る舞って逆に外見を気にして自由じゃない社会的な自分なんかも
軽く越えてやれるような開き直りや絶対感があってもよいと思う。
by hisa_coff | 2009-04-19 01:02 | デイリー