心
リハーサルの帰り、東横線に乗った。
車両の端の優先座席の近くで立って本を読んでいると、向こうの端から慌ただしく乗客の携帯電話を叩きながらこちらへと向かってくる おばさんがいる。どうやら電車の中で携帯電話をいじっていることが気に食わないらしく、もの凄い剣幕で平気で乗客たちが手に持つ携帯電話を叩きまくっている。中には落とす人もいて車内の空気は張りつめる。「千と千尋の神隠し」のクチナシが豹変して千を追いかける、あのシーンのような感じ。 そして僕が立っている付近の優先座席でカップルやおじさんやギャルの携帯電話を叩き落とす。そのあとに〈携帯電話ご遠慮下さいシール〉を叩いて「お前らこれが見えないのか!」と怒鳴っている。当然、付近の人たちは唖然としてドン引き。そして、おばさんはカップルの間にケツをねじ込んで「あんたら立て!腰が悪いんだから、立て!」と怒鳴りながらカップルの男の方の席を奪い取った。あっぱれである。マナーとして携帯電話はよくないとしても、そのおばさんにマナーを注意する資格はあるのだろうか? おばさんの心が病んでいるのは確かだった。 何かひどい仕打ちを受けて来たのか 聞いてみたかった。 僕は、心が病んでいないと言い切れる人は逆におかしいと思う。言い過ぎかもしれないが、社会で起こる理不尽なことに出会さずに成長することは難しい。人間関係の悩みがなく生きて来れた人は、自分にとって都合の良い人だけが周りにいるか、誰の気持も理解できない鈍感な人か、どちらかだろう。そして今まで勉強した歴史の中に目を疑うような出来事もたくさんある。これらを感じて心清らかに毎日過ごせるとは考えにくい。それに現代を情報社会だと感じている人は、それは尚更、清らかにはいられないと思う。日々の情報量の多さに理不尽なことがいくつも混じっているだろうしね。 心は ある程度 病むものだし 心だけは他人が触ることはできないし 完璧な心なんて存在はしないから「病む」と言う意味もあやふやになって行く。まあ、言ってみれば携帯電話を叩き倒したおばさんも僕もカップルもギャルもおじさんも然程 心に差はないかもしれない。 ただ、自分の心は自分で捕まえておかなければ、本当に大変なことになる。 それは本心を心の奥底にしまい込んでいる人もそうだし、本心だけが外側に出過ぎている人もそうだ。僕はどちらかといえば後者かも・・・・。 自分を捕まえると言うのは今の感情の押さえ込むことではなくて、いらない感情に惑わされないと言うことだと思う。常にシンプルな心でいれたら、仕事でのイライラが電車の中で爆発することはないだろう。 僕ら日本人は頭が良い。 ひらがな、カタカナ、漢字の三種を使い分けてコミュニケーションをとる。便利なものを発明するのは昔から得意だったんだね。言葉巧みに臨場感のある描写とともに気持を伝える。。。 でも、本当にそうだろうか? 言葉は心を伝える物でもあるけど、心を隠す物でもある。言葉が三種もあれば本心が消えてしまうほどの良い言い回しが見つかるだろうし、敬っていなくても敬語と言う便利な言い回しがある。本心を使わずに日々過ごすことだって簡単だ。でも、一生本心が面に出ないまま終わってしまう可能性もある。 人の心は何層にも重なって扉がたくさんあると読んだことがある。仕事場で使う心や知人に見せる心や友人、家族、恋人と浅い心から深い心まで扉が列んで順に重たくなって行くんじゃなかろうか?自分だけにしか見せない心が一番深い重い扉の向こうにあるとしたら、忙しい毎日の中でそれを開ける暇なんてないだろうし、浅い心の部分で日々過ごした方が楽しいだろうし、それほど傷付かずにすむ。でも、本当に苦境に立たされたときは、そんな浅い部分では解決できないと思う。慌てて誰かに相談したり成功者の言葉を信じたり、もう、一番奥の扉の存在さえ忘れてしまって大変である。だから一番深い自分にしか見せない心で日々過ごすことができたら、これこそオープンマインドだろう。 一番深い心を風に晒すだけで強くなった気がするはずだ。一番危険で強くてもの凄く傷付きやすくて自分でも手に終えない心を外に出せば見る見るうちに心が強くなるように思う。外気に触れさせる間もしっかりと心は捕まえておかないと行けない。 カウンセラーの仕事の人が精神的な病気になると言う話はよく聞く。 人の心をたくさん覗き込んでしまえば、きっとそうなるだろう。結局、自分の心しか受け止め切れないし、他人の煮詰まった心は強烈なのかもしれない。しかも「病んでいるかも?」と思っている人の心だからさらに強烈なのかもしれない。 だから、愛する人や家族や友人の心の支えになるためには、僕は自分の心をまず捕まえなければいけない。こうやって自分に向き合うことは、「我がまま」ではないと思う。「まず、他人から」と言う優しさは僕も理解してますが、でも、まず自分の心を捕まえてやらないと、他人には何も出来ないし、他人のことばかり気にする八方美人になってしまう。自分に真剣に向き合っている人の心は、なんとなく人間の心理と言うものを理解されてるように思うのは僕だけだろうか?他人を知りたいのなら、まず同じ人間である自分を知れば、支えになれるような気がする。 昔、ラモスと金田さんのサッカー談義でおもしろいのがあった。 金田さんが「お前(ラモス)は、そんなにテクニックもあるのになんで【心】ばかり言うんだ?」ラモスは「いや、それでも心なんだよ。テクニックを磨くのも心なんだ」と言い放った。 これを聞いた当初はわからなかったけど、最近ジワジワと実感している。 頭(脳みそ)を使うのは心なんだと言ったに違いない。いくら計算ができて知識があろうとも心がなければ使えないと言うこと。脳みそから司令があり体が動くものだけど、脳みその前に心があると考えてるんじゃないかな。 「心理」と言ってしまうと脳みそに吸収されてしまいそうなので、「心」と言いたい。心の場所なんてそれぞれが自分の体のどこかに定めればいい。親指でもいいし、小指でも、足でもいいし目でもいい、でも脳は少し避けた方がいい。 僕の場合だけど、心の場所は胃の奥にあり、口から順に扉がある。脳みそとの距離を空けることで、心が病みそうになれば脳みそで冷たく考えて、頭を使って何かを創作しなければいけないときは心で動機付けをする。この距離があれば意外と上手く行く。心の場所さえわかっていれば大丈夫だろう。 あの おばさんの心は誰かに捕まえてもらわなきゃならんな。
by hisa_coff
| 2009-06-14 03:59
| デイリー
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