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丸尾とリハだった

宮崎亦保(僧侶)さんが104歳の時のインタビューで言ってた。

いつ死んでもええと思て生きることが悟りやと思ってた
でも違う、平気で生きることが悟りを開くことなんや。


これ聞いた瞬間、お茶が美味しくなった。
咲くときは咲き、褒められても褒められんでもすることはする。
それが真理だと言う。

平気で生きること。
平気って平らな気持や平静と捉えるとなんだかテンションが低い感じがするけど、
気持に波を作らず、何があっても動揺しない感じで捉えるとドンと構えた感じに思える。

「褒められても褒められんでも」と言ってたところも素敵だ。
何か頑張った時には褒められたいものだ。報酬も欲しい。
自分の中で解決できるはずなのに、どうにか他の形にして頑張った証をもらいたい。
子供の頃は先生や親に花丸や100点が欲しくて頑張ったり、
大人になればそれが報酬や昇格へと変わって行く。
でも、褒められなくてもそれができるのか?と問われたら非常に難しい。
生きるためのささやかな欲が、真理を歪めてるとしたら、もう一度考えなきゃ。



知人でレコード会社との契約が切れたから音楽をヤメる人がいた。
同じくプロダクションとの契約が切れてしまったから音楽をヤメる人がいた。
僕もメジャーの会社と切れたときは、さすがに泣いたしね。
「どうしよう?」とすごく不安になるし、モチベーションがグッと下がる。
やりたいことが、やりたくないことに早変わりする。

でも、この考えじゃあ、誰のために音楽をしているかわからない。
人それぞれなんですけど、
レコード会社のために音楽をしているなら切れたらヤメてもいいと思う。
プロダクションに100点をもらいたいからやっているのならヤメてもいいと思う。
でも、思い出すべきは、音楽をやりたいと思った初期衝動の瞬間に
レコード会社もプロダクションもなかったはずなんだよね。
なんの環境もそろっていない、下手すりゃ楽器すら持っていない環境から
「音楽をしたい」と思ったはずなのに、ただ1個の会社にNOと言われてヤメるのは勿体ないな。

でも、他にやりたいことが見つかったときは、
今ある情熱を移し替えるだけだから、その時はキッパリヤメるべきだ。


僕は、情熱が死ぬまで持続している状態が本当の幸せのような気がしてて、
何かに打ち込み続けていることが最高の幸せだと思うんだ。
それが恋愛の人もいれば仕事の人もいる。スポーツや芸術の人もいる。
そして、ただただ今を実感し生きていることや
存在していることに情熱を燃やしている人もいる。

でも、情熱が冷めてるのに打ち込み続けることに意味があると思っている人もいる。
情熱が冷めたときは打ち込んでも意味は無いかもね。
やればやるほど結果が欲しくなるだろうし、
「努力」と言うものの裏に「忍耐」がくっ付いてくる。
情熱があるときは、努力なんて感じないし、忍耐なんていらない。


自分が歩んだ道を正解にしたい人はたくさんいると思うけど、
正解か不正解か、自分に問いた瞬間にその道がボンヤリと不安なものになるような気がする。
正解も不正解も自分のさじ加減であり、気の持ちようである。
高杉晋作が病の床で「おもしろきこともなき世に おもしろく」としたためると、
枕元にいた野村望東(尼僧)が「住みなすものは 心なりけり」と
かぶり気味で即座に下の句をつけたらしい。

「おもしろきこともなき世に おもしろく住みなすものは 心なりけり」

要は、気の持ちようで世界はおもしろくなると言うことだ。
でも、ただ笑うことでもない。笑顔を作ることでもない。
おもしろくするには、笑いだけでもどうにもならない。
喜怒哀楽のカテゴリだけじゃ物足りない、
そんな全ての感情の端っこまで冒険しつづけることじゃないだろうか。




うわ、悪い癖や、
ほんの少しテレビで素敵な言葉聞いたくらいでこんなに長文なるとは・・・・。

今日、伝えたいことは、
下北沢まで買いに出掛けてた「はらドーナツ」が歩いて行ける距離にできた。
それから、丸尾とスタジオで曲作り。
歌詞、メロディー、リズムのイメージを合わせながら7曲分の断片を作った。
もう、フォークギターではありませぬ。
いろいろ企んどりますので、ご期待下さい!
by hisa_coff | 2009-06-17 00:59 | デイリー