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無意味

数日前に聞いた言葉が頭に残ってる。

意味あるものを見ているのではなく
人は意味付けしてものを見ている。


NHK教育テレビは、たまに凄いことを流すことがある。
哲学者同士の会話のなかでポロリと溢れた。
そのときまた、飲んでいたお茶が美味しくなった。

意味付けして見解するのは、
見たものを素直に受け入れず知識に通してからものを認識する。
本当に素直に見るのなら、石と木の区別もつかないほど素直に見てるはずなんだ。
海も海とは認識できずに山も山とは認識できずに捉える。
人と犬の区別もなく、なんとなく感覚で違うんじゃないかと感じる。

意味を持たしていないと不安でしょうがないのが人間で、
いつの間にか、好奇心とともに支配意識も高くなる。
とにかく知っておきたい。とにかくわかっておきたい。

でも、地球の中で「わかっておきたい」と強く願っているのは人間だけであって
他の動物は、心よりも先に本能的に生きている。
もしかしたら、宇宙の中でも僕らだけが全てを知りたいと思っているのかもしれない。

人が意味を持たせて文明を築いてきたのは、
根本的な不安を取り除くことから始まったんだと思うし、
いまだに安全安心を売りにしているものは、強い商売だったりもする。

本当はわからないことばかりなのに、
わかっている世界にしなくては、もう不安でしょうがないんだ。

なぜ、夜が来るのか?
ってことを、遠い昔から考えられていて分析できると思いますが、
「陽が沈むから夜が来る」なんてことじゃなく。本当の「なぜ?」はわかっていない。



厄介なのは、昔から未来も知りたがる。
未来を知って今の生活を見直すのならわかるが、
もうずっと大昔から占い師や予言者に頼って生きて来たわりには、
今やっと、核兵器を無くそうと本腰が入りそうになったところだ。

本当に人間がこの世で最高の動物であると考えるのなら、
クラゲなんかよりももっと完璧に進化を遂げていたはず。
ほとんどが水分のクラゲは合理的な進化を遂げている。
結果、一番面倒臭い進化を遂げたのは人間なんだ。



話は逸れたけど、

僕らは意味を持たそうとして必死なんだ。
僕らは人生に意味があると思っているし、
今頑張っている仕事や勉強にも意味があると信じているが、
ただ、人間が有意義に過ごせるための思い込みかもしれない。


意味のないものに意味を持たせることが、
僕らの生活を有意義にさせてくれる。

だから、何かに打ち込んでいて「あれ?」っと
空虚感や無意味で脱力感を感じる時があるけど、それは気にすることはないんだ。

もともと、無意味な場所で無意味なことをして、
それに「意味があるんだ!」信じ込んで来たんだから、
空虚感に襲われるのは当然のことのような気がする。

だから、
その空虚感を感じたとしても「待ってました空虚感!」と思えばいいし、
無意味なことに全力を注いで来たんだと認識すればいい。
逆に今まで無意味に感じて全力を注げなかった人は、
そのままの自分で全力を注いでみたらいいんじゃないかな。


意味が必要なのは人間社会内だけであって、
他の世界は意味など何も通用しない。
「お前は無意味だ!」なんて言われて傷付くのは人間だけで、
他はまったくの絶対感の中で存在している。

意味を持っていると信じて社会の中で生きて来たけど、
ぼんやりとした空虚感に襲われるのは、
「この世は人間社会だけではない」と気付いた時じゃないだろうか?
自然や宇宙や、細かく言えば、動物の種類別、地域別、
いろんなものが共存している中で、意味付けに必死なのが人間だけ。
「そんなことじゃないだろ!」って気付いたとき、
空っぽだと気付くんじゃないだろうか?



無意味だと言うことを前提にした方が、
もっと自由にチャレンジできるような気がするんです。
意味にこだわるから、どんどん失敗したくなくなる。
勝利こそ意味があると考えるのもいいが、
負けたとき「この負けを糧にして・・・」と言う意味付けもよく耳にする。
どっちやねん!どっちにも意味があるんかい!って突っ込みたくなる。
最初から勝っても負けても意味があると言っておきなさい。

僕は、勝ちも負けも無意味だと思うようにしている。
それよりもチャレンジしている瞬間に意味を感じる。
しかも、それが「無意味なことだ!」と思われているものだとしたら、
尚更、チャレンジしている瞬間の集中に意味を感じる。
説明の出来ない高揚感が腹の底から沸き上がってくる。
その気持に意味付けしてたら情熱が冷めてしまう。
無意味で充分。


たまに襲ってくる空虚感は、
僕らが意味を求め過ぎるからこそ生まれるのかもしれない。
by hisa_coff | 2009-10-12 13:10 | デイリー