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朝から散歩した

図書館のソファーで本を読んでいると
目の前にあるCD試聴専用のデスクに座る男性のヘッドフォンから音が漏れてくる。
♪グッバイ バイ バイ という歌詞で確信が持てた。
柏原芳枝の「紅茶の美味しい喫茶店」だと確信を持ったが、
実は「ハロー・グッバイ」という曲名だった。
僕は小さな頃からの間違いに気付いた。次曲は「春なのに」でした。
それにしてもクイズ ドレミファドンができるほどの漏れ音だとすると、
男性が聴く音量は爆音だろう。
確かに爆音のあまり体を上下に揺らしてタテノリになっている。
優雅な歌でも爆音にするとタテノリになるんだと学んだ。

近所に大きな公園があるので行ってみた。
大きな池が2つあるようでボートも乗れる。
池のほとりのベンチでボーッとしてると鳩が2羽飛んできた。
四、五歳くらいの女の子がスナック菓子のようなものをまいている。
最初は2羽で、3羽ずつくらい飛んできては群れが大きくなり、
そのプレッシャーに女の子は後ずさりしながら餌をまく。
どんどん膨れ上がる群れと女の子の楽しさと不安が交じった後ずさりを見ていると、
いつの間にか、餌をまきながら女の子は草むらへと追いやられ、
とうとう姿が見えなくなった。女の子は無事だろうか・・・。

子供たちも多く、好奇心旺盛で見ているこっちも楽しい。
犬がウンコをする尻をずっと集中して見る2歳くらいの子はスゴい。
やっぱり不思議なんだ。僕だっていまだに不思議だが、
「そういうもんなんだ」と自分をはぐらかしている。
大人になると言うことは、はぐらかすことも時には必要なのかもしれない。
いまだに「1+1=2」という難問が解けない自分がいるのに
どこかではぐらかして、こういうもんなんだ と胸にしまっている。


今日読んでた本には、
宗教が根底にある「幸福」と、
日本的なあまり宗教が馴染んでないところでの「幸福」の違いが書かれていた。
神の巡り合わせのように幸せを感じるものと、
誰かよりは幸せだろうと感じることの差は大きいように書かれてた。
最初から他人に勝つことを前提にある新興宗教もあるけど、
この場合の宗教はキリスト教のような昔からあるものでした。

昔に読んだ本でも
日本が資本主義に魅力を感じる理由にも宗教に希薄だからだと書いてる本がありました。
信じるものが「神」でなかった場合、生活を安定させてくれるのは「金」だと言うのです。
だから余計に宗教に違和感を感じる人も多くなります。
初詣に詣るが、その時だけでは、神も都合よく見てくれんだろうし、
「おいでください」とコマーシャルが流れる度に宗教のモヤモヤは大きくなる。
ただ、これだけ神を信じていないとコマーシャルもしたくなるのもわかる。



誰かより幸せであると感じることぐらいしか、
幸せに自信を持っていないのが日本じゃないだろうか?
大金持ちだという至福だったり、トップ1だという優越感だったりするが、その逆でも
「うちは貧乏だけど、どこよりも家族は仲良しです」という感覚も持っていたりする。
どこかと比べないと幸せが計れないことほどさみしいものはない。
家族愛があるなら誰かと比べなくてもいいし、
それがあるなら「貧乏だけど」なんて感覚すら湧いてこない。
でも、湧いてきちゃうのが、根底に何もないと言うことかもしれん。


別に宗教が生活に密着している国が幸せ度が高いというわけでもないけど、
皆が幸せになろうと思っているのに「誰かより幸せだ」という考えほどさみしいものはない。

自分の幸せを見つけられる人は、幸せの形は様々であることを知っているし、
誰もが幸せになれると知っているし、そう信じている。
だけど、「誰かより幸せだ」と思っている人は、幸せは1つしかなく、
誰かが不幸になって、そのおかげで誰かが幸せになる仕組みなんだと思い込んでいる。


自分が幸せであることを誰かに言わなくても自分で噛みしめることの大切さですな。





【今夜のマンチェスター・ユナイテッド】
今やってるガーナvsセルビアにセンターバックでビディッチが出てます。
が、今、終了間際1-0で負けてます。がんばれ!
by hisa_coff | 2010-06-14 00:47 | デイリー