農耕民族の癖

ゴッホ展を見に行った。

ミレーの「掘る人」をゴッホが模写して技術を磨いていた頃の作品が並ぶコーナーで、
バスツアー客らしき老紳士が同じツアーに参加していた老婦に話ていた。
農具を使って耕している人が描かれた作品を指差しながら、

老紳士:「ごらんなさい、くわなどの農具を使うときは右手右足と一緒に出すでしょ」
老婦:「あらー」

僕は心の中で「今から僕が知らない何かを老婦にひけらかすに違いない」と思い、
作品そっちのけで老紳士の話を知らぬフリをしながら聞いていた。

老紳士:「農耕民族は、耕したり穴を掘ったり農具を使うことが多く、
右手と右足、左手と左足を同時に動かす癖がある、昔のナンバ歩きも、そうでっしゃろ。」

僕は以前、ナンバ歩きを人前で話した時に少し「ウソだろ」的な反応を受けた事があって
それ以来、説得力になる説明を探していたんですが、ゴッホ展で出会うとは!
ナンバ歩きは、たまに緊張したときの歩き方をおもしろ半分で表現したら、
右手右足を同時に一歩、左手左足を次に一歩出して歩き、
手足の出し方も混乱しテンパっている様子を表現するのを
たまに見たことあると思うのですが、まさにこの歩き方から緊張を取った感じです。

老紳士:「盆踊りでも右手右足から始まるもんも多いでしょ。
わしら農耕民族は、本当はこの歩き方の方が得意なんじゃ」
と言うて、ゴッホの画の前、混雑の中、老紳士は小さくナンバ歩きをやってみせた。
僕は、すかさず紙にメモって、なるほどなるほどと心の中でうなずいた。
知っていたのは、飛脚や忍者などが使っていた歩法or走法だと思っていたけど、
農耕民族の癖だと言うのですから、ほとんどの日本人がそうだったのかも知れない。

ま、ウソでも楽しい話ですから僕の辞書に加えておきます。



ゴッホは自分の作品が日本に来てたくさんの人が感動しているとは思っていないだろう。
でも、この人は褒められても褒められんでも画を描いた人ですから、
現代、天才画家として評価されていることを知っても、浮かれる人ではない。
「それより、今日もひまわり描かなくちゃ」って思っているかも知れない。
生前、評価されなかった分、飾らず本当の心を表現出来たのかもしれない。
心が本物だからこそ、死後の評価がずっと上がっているのかも。

褒められたら、また褒められたくなるのが僕ら人間で、
「お褒め」を追い求めて、湧き出る創作意欲を見失って、
逆に褒めてもらった評価などの対外から引っ張られる創作欲に追われてしまう。
「意」を抜いたのは、意志は心の底から湧いてくるものでありたいし、
意志とは、評価されてもされなくても変わっちゃいけないような気もするし、
意志が先頭でなければいけないしね。

こう書くと、「頑固だ」と言われそうですが、
心の底から湧く意志を誰かに言われて変えるバカはいない。
外見や社会との接点部分は多いに変更すべきだと思うけど、
心の中で咲いたものを自分が信じないで誰がそれを信じるのだろうか?

ゴッホの自分との闘いは壮絶だったのだと思う。
弱々しい印象を持つときもあるけども、
ありのまま突進して来るので、すべてが強い印象になってしまう。
泣きじゃくってるのにケンカが強いヤツがクラスに1人いたけど、
ゴッホもそうだったかもしれない。


「草むらの中の幹」と言う作品はずっと見てた。
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by hisa_coff | 2010-10-19 01:30 | デイリー