人生の中で無駄だったことを話した方が友人は楽しんで聞いてくれるだろう

今年は、好きなテレビ番組がいくつかある。
J sportsの英サッカー中継、SONGS、
龍馬伝、世界ふれあい街歩き、は結構好きなのですが、
もう1つ欠かさず録画しているのが、
「こころの時代〜宗教・人生」と言う番組なのです。
子供の頃ならたぶん親がこんなの見てたら退屈で退屈で、
仕方なかったのだろうが今は、本当に勉強になるのです。
衝撃だった宮崎 奕保さんのインタビューもこの番組だった。

ある人の人生の話を聞いたり、坊さんの話を聞いたり、
牧師さんの話を聞いたり、ある教授の話を聞いたり、
宗教に偏り過ぎず、要は、年長者の話に聞く番組です。
荒げる瞬間も全くなく、穏やかに深海へ連れて行くような話がとても心に来るのです。


最近は、数学者で評論家、エッセイストの森 毅さんの話でした。
「心の時代アーカイブ」と言う番組名になってたので、
たぶん、以前に放送したものだと思います。

森 毅さんは、人生二十年説と唱えているそうだ。
0〜20歳、20〜40歳、40〜60歳、60〜80歳で
20年ごとに舞台が変わって行くと考えた方がいいと言っている。
たぶん人生を意識して歩き出すのが20歳前後だろうから、
40歳になって「え、もう折り返し!」なんて思って
下山をはじめるのも納得がいかんだろうしね。

森毅さんは、20前後までの舞台は、家庭だと言う。
20くらいからは舞台が社会に変わる。
番組でカットされてて40からは知りませんが、
60からは社会を卒業して、自由人になると言う。
そして、社会を引きずってない人が、
60からの自由人として有意義に生きてる人が多いと言ってた。

20年ごとにスタートラインを設定していれば、
それなりにうまく時間の割り振りも出来るだろうし、
幾度も自動的に立ち上がる切っ掛けがある。
コンセプトが1つしかない人生は、窮屈で仕方ないとも言う。
仕事を達成しリタイア後ふぬけになってしまうと言う話もよく聞く。
それは仕事一筋じゃなくてもリタイアした瞬間に何もなくなる感覚が襲う。
だから、20歳の時に社会に入り、60歳の時に卒業するイメージを持っておいて、
精神的に社会からはみ出た本当の自分の生き方が老後に待っていると考えたいな。

で、別の会話から出てきた話は、
「ゆとり」は社会を引っ張る中年が持つべきだとも言っていた。
背負うものが多く、社会の主役である中年たちが一番忙しいのだ。
そのくせ、腕を組みながら「こうすべきだ!」と価値を一元化したがる。
それは混沌とした問題をたくさん背負いながら決断に迫られる日々の中で、
社会を引っ張るために迷いを捨てるクセが身に付いた結果なのかもしれない。
若者問題や老人問題よりも中年の問題が一番難しいじゃないか と言ってはる。

ゆとりある社会を創るために子供にゆとりを教えるが、
教える人間(中年)がゆとりを知らなければ教えられない。
だから、ゆとり教育とは名ばかりに、
誰もゆとりを知らなかったのかもしれないな。

だから今、中年たちがゆとりを学ばなければ、
それを子供たちにも教えることは出来ない。
でも、資本があることで心にゆとりを得てたような体質では、
今後10年以上は、ゆとりなんて感じることは出来ないかもしれない。


最近の若者は中年たちおじさんの言うことを聞き過ぎる とも言っていた。
当然、言うことを聞いていれば成功することも多い、
そんな中年たちが社会のベーシックにあり創っているのだから、
言う通りにしていれば、社会で成功する確率が高いとも言っていた。
だけど、無駄なことに情熱を傾けたり、冒険をしない限りは、
新しいものは絶対に生まれてこないんだ。そんなことも言っていた。

常識は常識で美しさもありますが、
やっぱり常識から外れた無駄なことに
その人の人生の魅力が詰まっているような気がしてならんのです。
哲学好きな僕から言わせれば、この世は無駄の塊でしかない。
なぜ、宇宙があり、生物がいて、ぐるぐる回るのか?
これを無駄と言ってしまえれば、
僕ら人間のすべての問題は解決しそうな気がする。

だから無駄だから情熱を注がないってことではなく、
もともと無駄なのだから、どんなことにも情熱を注ぐべきだと思うのです。
僕は、ゆとりの中に「無駄」と言うニュアンスも込めておきたい。
人生の中で無駄だったことを話した方が友人は楽しんで聞いてくれるだろう。
大げさに言えば、無駄のために情熱を注いだ時間が人生なんじゃないか。



いつの間にか、長くなりましたな。
一番言いたいのは、「こころの時代〜宗教・人生」と言う番組はたまにスゴい!
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by hisa_coff | 2010-11-03 04:01 | デイリー