一番大切なものは目に見えない ≒ 不立文字(ふりゅうもんじ)

重松宗育さんだったか、
お寺の和尚さんなのですが、
以前はアメリカ文学を教える教授さんだったそうで、
その人が「星の王子さま、禅を語る」と言う本を書いてはるみたい。
それが今一番読みたい。

「一番大切なものは目に見えない」と言う言葉が有名ですが、
それを「不立文字(ふりゅうもんじ)」と解釈していたのがとても素敵だった。
一番大切なものは、文字や言葉では伝えられない 心から心へと直接伝えるものである。
お寺さんの言い方ならば、
悟りは言葉では教えられない 師から弟子へ以心伝心の境地でなければ。
その他に時間泥棒のモモや不思議の国のアリスの中にある
禅を感じる言葉を紹介しているらしい。
禅的発想は日本だけじゃなく、誰もが心に思いつくものなんだろうね。

出来る限り言葉で表現しようと僕らはがんばるけれども
やっぱりすべて表現できるほど心は簡単ではなかったりする。
平常心という言葉もよく使われるのは、
平らでシンプルにしない限り本当の心は自分ですら捕まえられないのでしょうな。
雑念を取り払ってから初めてシンプルな自分の気持ちに気付く。

心を表現しているようで、まったくしていない。
強い心は表に出せても、弱い心は表に出せない。
赤ん坊は言葉を話せず悶々としていながら我がままに振る舞ってしまう。
当然、僕ら大人にもありましょう。言葉以上に説明したい事がありましょう。
知性が本能を越えられないのは ここにあるのでしょう。


言葉などで教わったから僕らは「殺人がいけない」と思っているのか?
と、以前にそんなことを問われている本を読んだけれども、
その本では、本能が人を殺さないようにしているのではないか!と、
人間に希望を持った答えを出していた。

でも、知性は本能を忘れることが大いにあるとも書いていた。
知があっても本能に気付けなければ人間ではないと言うのでしょう。
社会のルールだから「殺人はいけない」というだけでは浅いと言うことでしょう。
自然の中にある動物として実感できずに、社会の中だけで生きていると
知がすべてのように思えてくるし、知ることが教養だと思ってしまう。
でも、本来、言葉がなくても社会では生きにくいが、
動物としての本能が自分を育ててくれるのではないでしょうか。
その中に人間を殺してはいけない真の理由があるかもしれない。
そこには自分すら殺してはいけない理由も。知だけではわからない。

根元から人間を信頼するヤツでいたい。
個人々々を信頼するとかではなく、人間自体を信頼する。
それは僕が騙されたとしても信頼する。吉田松陰さんですな。
「人を信じることは、遥かに人を疑うことに勝っている。
私は、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、
絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたい」
と、心が震えるような言葉を残してます。
孟子の性善説も参考になったのでしょう。
自信がなく自分を個人として信頼できなくても、
自分を人間として信頼し、自信を持てばよかろう。




おやすみなさい。
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by hisa_coff | 2010-11-09 02:12 | デイリー