イタリアの人は、薄暗い街の中でも明るい人たちでした。

反原発と大きな声で言えないのは、僕らは便利な生活を求めているからで、
1億数千万人もいる国に一人ずつまんべんなくキラキラした電気を供給しようと思うと
風力や水力や火力では間に合わないでしょうし、かなりのエネルギーがいる。
日本が発展できた裏には、この電気やガスや水の安定した供給があったからだと思う。
安定した供給を当たり前としつつ反原発を訴えるのは、わがまますぎます。
だから不安定な供給になる覚悟の上で訴えて行ければ。。。
と、思いますが、こうやってパソコンを電気で動かしながら矛盾を感じるわけです。

僕が唯一行ったことある外国がイタリアなのですが、
原発は3基ほどでしたけど1987年に国民投票で原発停止が決まってからは、
ほとんど電気を輸入している。
陽が長い夏などは、サマータイムなど使って、時計の針を一時間前にずらして、
陽の明るいうちに活動できるように工夫してある。
シエスタというお昼寝の時間もありながら午後は3時から6時ぐらいで仕事が終わる。
住む人に聞いたらば、家から仕事場が20分以上かかる場所は遠いらしい。
もちろん夜中、街に自販機やコンビニはなく薄暗いオレンジの街灯がさみしいけれど、
その分、しっかりと節電はできている。

電気に限りがあることを知っているからこそ、
シンプルに濃厚な生活ができるのかもしれない。
電気供給が素晴らしすぎた日本は、太陽がずっと照らしてるかのような錯覚に
24時間働き続け、休むことを知らない生活が定着したのだと思います。
ちなみにイタリアの水道水は少し茶色くて飲めなかった。
水の供給もまた日本は素晴らしかった。

イタリアの人口は日本の半分以下ですから、
同じように考えることはできないけれども、
無意識な生活習慣から大量のエネルギーを求めていたのは事実。
こうやって夜中に電気を使ってブログを書く矛盾すら
素晴らしき供給を「当たり前だ」とまだ思っている証拠かもしれない。
シンプルに生きる覚悟はできてます、原発に僕も反対です。



イタリアの人は、薄暗い街の中でも明るい人たちでした。
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by hisa_coff | 2011-04-11 02:40 | デイリー