誰かの何かが気になるより先に、自分の心の隅々まで知っておきたい。

クリンゴンリハーサルから帰ってきて、
録画してたサッカー日本代表の試合を見る。
ピッチ上ではキックオフ前に先日亡くなった松田選手への黙とうをささげる。
僕は目も瞑らずにじっと画面を見ていたら いつの間にか泣いていた。
松田選手の無念さや残された家族の気持ちを想像してグッと来てたが、
それ以上にあの会場にいる方々が黙とうで同じ気持ちになろうとしてることに泣いていた。
他者と同じ気持ちになることや共有することは あり得ないと考えている僕ですが、
同じ気持ち、ひとつになろうとすることに感動してしまうのだ。
もしかしたら気持ちを共有できたことに嬉しく思ったり感動するのではなく、
同じ気持ちになろうとしたことに高揚するのかもしれない。

心の使い方だけは、やっぱり誰からも教わらないのだ。
誰もが感じ続けて手探りで心は孤独に成長して行く。
ひとつになろうとするのは、表面的な自分のためではなく
内面にいるもの同士で繋がりたいと思っているのかもしれん。

もしかしたら今までにも感じたのにごまかしている感情もあったかもしれない。
確かに大人になると感情が邪魔することがあるから、
小さく芽生えた感情には無関心に生きることが多いが、
その感情に気付けなくなった自分に気付いたとき激しく反省するのだ。
いや、待てよ。大人だから感情が邪魔なのではなく、
感情が邪魔だから大人しくなったのかもしれない。
どっちにしても、感情の起伏こそ生きている醍醐味であるのにも関わらず、
飛び跳ねて喜ぶことも、鼻水を垂らして泣くことも、どこかで避けている。
友人や仲間や家族の前でしか、感情を表に出せなくなってしまう前に、
その他の場面でも自分の些細な感情に気付けるよう取り戻さなければならん。

とね、そうね、思ったの。
誰かの何かが気になるより先に、自分の心の隅々まで知っておきたい。

おやすみ。


マルオエイド2011よろしく。
必ず、楽しませますから。
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by hisa_coff | 2011-08-11 00:39 | デイリー