人気ブログランキング | 話題のタグを見る
人間的から超人的


60億分の1の意見だから絶対ではないんだけど、
人間的とはどういうものかと今日は考えさせられた。
ってか、そんなこと毎日考えて生きてますが、今日は特に考えた。


2つの電気製品を修理してもらおうと
保証書を持ってそれぞれの大手電気店ヘ行った。

A店の主任らしき人は、
僕の出方をうかがって言葉を探し、
結果、足元を見て対応して、
攻めれば攻めるほど言い訳の上塗り、
で、僕の怒りを買った。

B店は最初から最後まで一貫して、
対応を変えずに低姿勢ながらポリシーは立派なもので
その心意気に感動し修理代がかかっても直してもらいたいと思った。


一見、B店の方が人間的で心の通っている対応だと思って、
A店には二度と行くかと思ったけど、
渋谷を歩きながら頭を冷やしながら歩いたら、
本当に人間的なのはA店のような気がしてしまった。

B店は本当に素晴らしい対応で心も見えるし、
つまらん商品に対してでも汗をかきながら対応する。
それだけで情熱を感じ人間的だと思ってしまうけど、
そうじゃないかもな。

もし、僕の前に100人もの客が同じような問合せをしていれば、
101人目の僕に惰性的な対応をしてしまうのは人間っぽいと思ったわけです。
常に新鮮に心を込めて対応できるほど精神が強い人はなかなかいないだろう。
100人を心込めてずっと対応できる人は凄過ぎる。

だから、「人間的」なのは惰性的な仕事をするA店の方で、
B店のように小さな商品も高額な商品も一貫した心構えで対応してくれた人は、
「超人的」だと思うわけです。


僕らはなかなか一瞬一瞬を新鮮に迎えることはできない。
だからこそ、次の一瞬が大切なんだろう。
そして大切に思った一瞬は絶対に新鮮に輝く。
その波に乗れば絶対にまた次の一瞬も新鮮に輝く。
その連続がキラキラした日々を作ってくれる。

でも、僕らは贅沢なものでそのキラキラしたものにさえ慣れてしまい、
また惰性的な瞬間が訪れる。
だから、また根気よく次の瞬間を大切に輝かせるようとすればいい。

あまりにも惰性的に何かをこなした自分を発見した時、
絶対に休むべきだと僕は思うんです。
なぜなら惰性的な日々の中、なぜ生きてるのか?なぜ仕事をするのか?
なんて自分に問いかけてしまったら、矛盾の渦に飲み込まれる。
そうなったら、動物的なパワーすら無くす。
そうなる前に休むべきなんだ。

だから、自分にとってキラキラした日々を送ることが生きることなんだと思い、
無条件に生き、無償に生き、根気よく生き、次の一瞬を大切に生きるんだ。


僕はよく自分の携帯電話のメール欄に書いた言葉を読んでライブに向かう事がある。
「ひとりにとどくものは、いつか万人にもとどく。
ひとりにとどかないものは、万人に絶対とどかない。」
と、思っていつもひとりの人のために歌うようにライブをする。
そうすれば、小さなカフェライブでも大きな会場でも
絶対に同じ気持ちでライブができると信じてる。
これを忘れたときは、最悪のライブになるだろうけどね。
絶対にどんな人にも同じ対応が出来る大人になるんだ。
それはいつも自分であると言う一貫した態度でいれるかと言う挑戦でもある。

高校の頃、酒屋の配達でビールを持って行った時、
パンチのあるおじさんが小僧の僕に敬語を使って対応し、
それでいながら威風堂々としてたあのカッコ良さ、今でも覚えてる。
あのカッコ良さを目指す。でもね、右翼の人だったんだよな。。。パンチありすぎ。
by hisa_coff | 2009-01-07 00:19 | デイリー