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例えば、雨が降らず不作の危機を感じて雨乞いの歌を歌う年もあります。

丸尾とリハーサルだった。
演奏は1割程度で後9割は大切な話。
案の定、僕と丸尾くんのグルーヴは違うわけで、
すり合わせないとどうしようもないので、すり合わせる。
でも、すり合わせると言っても僕もなかなか頑固なもんですから、
丸尾くんの行きたい道もわかりつつも、
いやいや、こちらの方がよろしいですぞ と言ってしまうのです。


僕が初めてマスタリングした場所が、
青山のビクタースタジオでしたが、そこが売却されるらしい。
上京して初めて見たときは、これがメジャーの人たちが使うスタジオか!と、
心躍りながら付近を見渡して「やっぱり東京はスゴいな〜」なんて思っていました。
その目の前の交差点で赤信号で止まったタクシーの運ちゃんが
車を降りて運転席のドアに下半身を隠しながら立ち小便をしていた!
用を足して青信号になり走り去った後、
交差点の停止線後ろ2mあたりに黄色い水たまりが残っているのを見て、
これはこれは、東京はレンジが広いな!と、膝を打ちました。
立ち小便の話はいいとしても、巨大なスタジオが売りに出されるほど、
なにか音楽の在り方が変わり出しているのだろうか?
とも思うのです。

でも、12音階にプラス1音階になったわけでもなく、
白い鍵盤は7つ、黒い鍵盤は5つの12音で
だいたい僕が聞く音楽はこれで成り立ってます。
そして、何かの本で読んだのですが、
17世紀にすべてのメロディーは出尽くしたと言われています。
それはたぶん、1小節や2小節、4小節の限定された中に入るメロディは
出尽くしたんじゃないか?と言う考えだと思いますが、
こう考えるともう変わりようがないくらいメロディーは使い回されている。
音楽の在り方なんざ、僕と音との関係でしかない。
音が僕をどうしてくれるのか、それぐらいシンプルな関係だ。

例えば、雨が降らず不作の危機を感じて雨乞いの歌を歌う年もあります。
その逆に、豊作の喜びの歌を歌う年もあります。
「嵐よ静まれ」と天に向かって歌うこともありますし、
「海よ静まれ」と海に向かって歌うこともありましょう。
「子が出来た」と言って歌い出す夫がおれば、
「子が欲しい」と願って歌うこともありましょう。
「あんたが欲しい」と歌えば、「さようなら」とも歌う。
古くさい考えですが、音楽はずっと僕らのそばにありますから
それほど変わったように思わんのです。

「今からドラマが始まりますよ」と言う主題歌や、
「たった今、感動的な映画が終わりました」と言うエンディングテーマ。
「このビール美味しいですよ」と言う裏には歌があり、
「さあ、今から試合をしましょう」と言うアンセム。
何かに付けて音楽が支えている。

音楽をビジネスの側面から見たら苦しいですが、
音楽を芸術の側面から見れば、
不作の時代も豊作の時代も関係なく歌は歌われて来たのですから
しんどい時は奮起する歌を歌えばいいし、そして正直にしんどいと歌えばいい。
正直しんどいと大勢で大きな声で歌ってる様を想像したら、
正直しんどくなくなるような気がしません?
これが音楽の力だと思ってます。


で、丸尾との話し合いは、
とりとめもつかない感じでしたが、
小さな積み木を少しずつ組み立てて、
もの凄く大きなものまで到達したいね って話をしてた。


12月10日(金)高円寺 HIGH で2人Clingonをやります。
詳細待たれよ。。。。
by hisa_coff | 2010-10-27 02:57 | デイリー