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オーガニック


「何度か、青で描こうとした時それがないことに気がついた。
そこで私は赤を持って来てその場所に塗った。」

ってピカソが言ったらしい。
岡本太郎の「青春ピカソ」に書いてあった。
これを読んで深読みするか、浅読みするかはそれぞれだけどピカソは正直だ。
そして、色すらピカソにとって印象をかえるものでもないもののような扱いだ。
青く塗られた場所を「青い」と印象付けるのもおかしいしね。
青で塗ろうが赤で塗ろうが最終的に目標としたイメージに到達すれば問題ないのかも。
もしくは瞬間瞬間、正直にぶつければ絶対にパワーを持ったものに到達すると考えてそうだ。
本当の心情はわからんけどね。
一番いいのはキャンバスの前で念じたものが、
筆も持たずキャンバスに触れずに描かれたら最高だろう。
こう考えれば芸術は上手い下手ではないと思う。

でも、それを逆手に取ってビックリするものもあるよね。
例えば、丸い石をポツンと置いて「人生」と題されてたら、
誰もがそれを見て深読みすると思うんです。
その石を眺めて「人生か〜」なんて思いながら、
酷い人は、「なるほど」なんて思ったりするかもしれない。
そして、その石に凄い値段がついてたら、また人生と言う題名に納得してしまう。
でも、ただの石。そう、ただなんだ。

そう思うと、岡本太郎が作品を寄贈して来たわけがわかる。
やっぱり、作品を見て自分の物差しで測る前に値段が書いてたら、
その数字と見比べて作品の善し悪しを決めてしまう。
でも、作品は見た人それぞれによって響いた度合いは違うし、
何も価値を感じないものもたくさんある。
岡本太郎ファンの僕だって岡本太郎の作品でわからないものもたくさんある。
ただ、値段で左右され本質を捉えられないでいると、
どんなことに対してもまず数字で考えてしまう癖がつきそうで怖いんだ。




少し話は変わるけど、見た目と内容の価値に疑問を感じたことがあった。
たまたま米の審査を説明をしてる番組に出会したので知っておこうと集中した。
うろ覚えですが!
米の1000粒の中に1粒少し黒いはんてんがついた米があったら、
その米1000粒は当たり前、その1俵のまるまる価値が下がると言っていた。
その黒いはんてんはカメムシが少しかじったという米で味も栄養にも問題ない。
ただ見たくれが黒いので価値が下がる。
それは黒い米1粒が入ってた俵の価値が下がるんだって。
価値が下がれば農家は米を安く買われてしまう。

で、その黒い米を無くすにはどうしたらいいのか!
カメムシがつかないように農薬をまけば黒い米は出来ない。
でも、カメムシより酷い農薬が米についてしまう。
それでいても農薬を使った白い米の方が価値があると僕らは思っている。
その審査もやっぱり形や白さだったりする。
当然、飲食店で黒い米が出てきたら少し気分悪いもんね。
それだったら目に見えない農薬まみれの白い米を出す方がいいしね。

農薬を使う農家が悪いんじゃなくて、
僕らが本質を見抜けないのが悪いんだと思う。
やっぱり高齢者の農家の方が農薬を使わずカメムシや害虫から
米や作物を守るなんてそんな無茶は出来ないだろう。
稲を1本1本見て回る作業なんて気が遠くなる。
腰が折れ曲がったおじいさんは、迷わず農薬を使ってほしいと思う。


でも、
純白の米が絶対である!と考えている僕らがその価値を変えない限り、
「オーガニック」という大昔にはごくごく普通だったことに
何か希少価値を感じてオサレなカフェが売り文句に使ってしまう。

農家さんたちは農薬がどれだけ危ないか一番知っているはずだ。
やっぱり、多少ムシに食われてようが無農薬の方が安全だ。
それを一番の基本に置かない限り、
農家さんたちの矛盾に挟まれた悩みは取り除けないだろうし、
息苦しくて今後も農業を辞める人は多いだろうと思う。


こんだけ書いといて、僕は農業をする勇気があるのか?
いや、まだまだ音楽したいな。。。。
う〜ん、その後かな。。。。
by hisa_coff | 2008-11-13 02:39 | デイリー