2010年 11月 23日 ( 3 )
おやすみなさいまし。

争い、うんざり。
復讐心もまたうんざり。

僕らは心の中で真剣に考えるだけで、
空気は変わって行くような気がする。
諦めず、自分には関係はないと考えず、
重たい感覚を感じるだけで変われるような気がする。
神を信じる前に 人を信じる。
本当は、争いを求めている人間はおらん。
そう思いたい。


おやすみなさいまし。
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by hisa_coff | 2010-11-23 23:09 | デイリー
メモ

【三余(読書三余)】
年の余りの冬、日の余りの夜、時の余りの陰雨を学問(読書)の好機とする。

一年のうちのあまりものを冬、一日のあまりものを夜、時のあまりものを雨の日、
このあまりものの時は、あまり仕事がはかどらないので、この暇も使って読書せよ。
と、言う意味だろうと思います。
今は、冬も夜も雨の日もない現代にどう暇を作ってゆくのかも 問われてるようです。



「こころの時代」である坊さんが言ったはった。
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by hisa_coff | 2010-11-23 09:06 | デイリー
お前はこのイチゴタルトをワンホール食べなさい!
数字の「8」の練習はとっくに飽きながら、
「別れの曲」の練習は毎日欠かさずやっています。
それから作曲は順調!
来年は「よくこんなもの作れますね、金もないのに」と絶対に言われる。
少ない頭をとことん搾って、皆が分解したくなるようなものを作っています。
目立った動きは、たぶん出来ないでしょうけど、僕の頭の中はもの凄く活動的でございます。

目を瞑って脳裏の方でぼんやりとした灯りを囲んでコソコソ話をしていて、
近寄って行くとクッキーの丸い缶の中に赤と白のツートンのテントがあって、
その中で繰り広げられる音楽は、さぞワクワクするんだろうと、ずっと考えてるのです。

人生はひとときの夢だ と言う人もいれば、夢ばかり見ずに現実を見なさい と言う人もいる。
都合よくその2つを使い分けているだけで、僕には それほどかわりはないと思っている。
夢を現実にするのも、現実を夢にしてしまうのも、自分のとらえ方でかわる。



今読んでる本で「おもしろいな」と思ったところは、
人間は自分自身の中に社会がすでにあると著者は考えているのです。
僕は、誰かと出会った瞬間にその人との関係性を社会と呼ぶんじゃないか、と
ぼんやりですが、人間関係の中に生まれてくる関係性のことだと思っていたが、
この人は、すでに誰とも会わずとも自分の中に社会がある と言うのです。

自分の中の自分とうまく折り合いをつけて生きているのは間違いない。
それは、もう1人の自分に許しをこうて何らかの行動をおこしているのだと言う。

で、1つ うろ覚えですが以前読んだ本に
「自分に命令できな人ほど、自分を命令する人を求める」
と、書いてあったのを思い出し、先ほどのことと繋ぎ合わせればよくわかる。
もう1人の自分に対して自分が命令できるかが問われてる。

心の中のもう1人の自分に対して、
許しをこうて行動を起こすのと、命令して行動を起こすのとでは、
若干、意味合いや勢いや深みや誠実さが違うような気がしません?
もう1人の自分に許してもらうための心の中の対話よりも
自分が自分に命令するときの心の中の対話の方が温度が高い気がします。
もう1人の自分との社会をどう言う立場で付き合って行くかで、
成すべきこと成せることが大きく変わってゆくんだろうと思います。
他人からは許しをこうて行動し、自分からは命令し行動したいものですな。

かと言って、もう1人の自分に
「お前はこのイチゴタルトをワンホール食べなさい!」と言う命令はお門違いです。



おやすみなさいまし。
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by hisa_coff | 2010-11-23 01:28 | デイリー